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relax2007-08-26 Sun 03:08
アセンション前暦(B.A.?)の終わりにさしかかってきた今、
キーワードは何だかんだいって"リラックス"なのかもしれない。 (余談だけれど、キリストの生誕日に諸説あるように、 アセンション日もいろいろ言われているところが興味深い) あるところまで行っている方は、 たじろがないイメージを受ける。 それはリラックスなのだろう、きっと。 表現されないリラックスは静かな雰囲気であり、 表現されたリラックスは芸術であったりするのかもしれない。 だいたいは、あたふたと反応しているのが私の現状だ。 しかも、地球や宇宙や愛といった壮大なテーマのものではなく、 みみっちい出来事にあたふたとしている。 こういう私の経験上、 瞑想や祈りという行為は、 やっぱり有効だったりする。 瞑想(想念観察?)などは、定期的に寝る前などにやっている。 自然と祈っていることもある(どうか、どうか…)。 祈りイベントにはもう参加しないと思うが、 祈ると、気持ちが落ち着くし、すっきりすることがある。 これも事実だ。 ただ、今ふと思ったのだが、 そういう場合の祈りは、自分以外の存在のためにやっているようだ。 漠然と子どもたちに対してのこともあるし、 特定の誰かに対してのこともある。 自然に向けてのときもある。 また、感情的な反応と同様、 どうしようもなく気がついたら、という場合が多い。 というより、そういう場合しかない。 やはり感情同様、自分以外の存在を想う気持ちも、 我慢しているのはよくないらしい。 また、何かのために意識して、さあやるぞと祈ることは、 不自然なものが働いているようだ。 (私の場合であって、他の方は違うかも。 また、トレーニングのようなもので、 ある程度は自然にできるようになるのかも) とりあえず、 「自分の中からあふれ出してきたものは、出せるときには出す」 この意図とリラックスという状態は、つながっているような気がする。 泣くという行為がネガな感情から出るとするなら、 祈るという行為はポジな感情から出るという感じ。 どちらも意識でどうこうというよりは、 自然にやってしまうことのようだ。 あるチャネラーの方がおっしゃっていたが、 ネガであれポジであれ、強い想いや思い出は傷なのだという。 だからどうというわけではないが、 リラックスへの道は出し切ることなのかな、という感じがする。 それがネガであれポジであれ。 また、当たり前の話になってしまった。 |
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