箱庭建築

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relax

アセンション前暦(B.A.?)の終わりにさしかかってきた今、
キーワードは何だかんだいって"リラックス"なのかもしれない。
(余談だけれど、キリストの生誕日に諸説あるように、
 アセンション日もいろいろ言われているところが興味深い)

あるところまで行っている方は、
たじろがないイメージを受ける。
それはリラックスなのだろう、きっと。

表現されないリラックスは静かな雰囲気であり、
表現されたリラックスは芸術であったりするのかもしれない。

だいたいは、あたふたと反応しているのが私の現状だ。
しかも、地球や宇宙や愛といった壮大なテーマのものではなく、
みみっちい出来事にあたふたとしている。

こういう私の経験上、
瞑想や祈りという行為は、
やっぱり有効だったりする。

瞑想(想念観察?)などは、定期的に寝る前などにやっている。
自然と祈っていることもある(どうか、どうか…)。
祈りイベントにはもう参加しないと思うが、
祈ると、気持ちが落ち着くし、すっきりすることがある。
これも事実だ。
ただ、今ふと思ったのだが、
そういう場合の祈りは、自分以外の存在のためにやっているようだ。
漠然と子どもたちに対してのこともあるし、
特定の誰かに対してのこともある。
自然に向けてのときもある。
また、感情的な反応と同様、
どうしようもなく気がついたら、という場合が多い。
というより、そういう場合しかない。

やはり感情同様、自分以外の存在を想う気持ちも、
我慢しているのはよくないらしい。
また、何かのために意識して、さあやるぞと祈ることは、
不自然なものが働いているようだ。
(私の場合であって、他の方は違うかも。
 また、トレーニングのようなもので、
 ある程度は自然にできるようになるのかも)

とりあえず、
「自分の中からあふれ出してきたものは、出せるときには出す」
この意図とリラックスという状態は、つながっているような気がする。

泣くという行為がネガな感情から出るとするなら、
祈るという行為はポジな感情から出るという感じ。

どちらも意識でどうこうというよりは、
自然にやってしまうことのようだ。

あるチャネラーの方がおっしゃっていたが、
ネガであれポジであれ、強い想いや思い出は傷なのだという。

だからどうというわけではないが、
リラックスへの道は出し切ることなのかな、という感じがする。
それがネガであれポジであれ。

また、当たり前の話になってしまった。

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